日本は運命共同体 助け合って生きる

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日本は運命共同体 助け合って生きる

2016年03月11日

 
 東日本大震災が起こってから丸5年となる3月11日がめぐってきました。まだ震災前の生活を取り戻せていない被災者の方たちがいらっしゃいます。その方たちに対して思いを新たにしています。あの未曽有の天災を経て私たちは今日を迎えている。その歩みをかみしめています。  

 私にとって、1988年に来日して以来の大きな地震でした。中国でも地震は起こりますが、何しろ巨大な大陸です。中国で生まれ育った私には大陸にいる安心感は大きいのです。やはり大陸の一部である北欧に住んだ経験もある私にとって、ここは島国で地震国。日本に住むことに、かすかな緊張があるのです。


■あの日、エレベーターが止まった

  
 忘れもしない5年前の今日、社員と打ち合わせしていました。最初の一撃がきて、驚いた社員の一部は机の下にもぐり、私はぐらつく本棚を支えようととっさにそっちへ動きました。「社長、危ない。何しているんです」と叫んである社員が後ろから私を引っ張って、ドアの外へ飛び出しました。そのときに地震の深刻さを認識しました。  
 
 それから怒とうの時間が流れました。「エレベーターが止まってしまった」と電話が鳴りっぱなし。顧客の元へ駆けつけようにも、東京都内は渋滞が激しくてとても車で乗り付けることができません。それっとばかり、弊社の技術者たちは自転車でそれぞれの現場へ走りました。私自身、復旧作業で飛び回りました。顧客からは「社長さんが来てくれた」と感謝されました。無我夢中でした。  

 事務員も総出で昼夜、顧客サポートのため電話に張り付きました。幸い、弊社が担当するエレベーターでは閉じ込め事故はほとんど起きませんでしたが、それでもパニックに陥ってしまった利用者の電話をたくさん受けました。「トイレは大丈夫ですか。もうすぐ復旧するからしっかりしてください」と声をかけ、顧客に落ち着いてもらうよう努めました。  

 技術者たちは地震後1週間、ほとんど帰宅しませんでした。弊社の仮眠室や近隣ホテルに泊まり込み、復旧作業をし続けました。なにがそうさせたかと考えると、社会に対する責任と使命感です。エレベーターが止まれば、高いビルの住民にとって一大事。「うちの契約メンテナンス会社はすぐ来てくれなかった」といって、弊社と契約したいと言ってきたビル所有者がいました。必死に働いた弊社の社員を誇りに思います。  

 それ以来、社員の発案で、自転車でより遠くに駆けつけられるよう、ギア付きの自転車を数台購入しました。  エレベーターに関しては、地震のときは、動き始めてもすぐに乗らない方がいいです。本震で止まり、その後動き始めても余震のため、再度止まる危険があります。火災がともなうかもしれません。落ち着くまで様子をみてください。 


■「和」の精神を発揮した人々

  
 感謝したいのは、保育園に預けていた、当時4歳だった息子を見てくれた保育士の方々です。地震当日、帰宅時間に電車は動いていませんでした。会社から保育園へ、途中、徒歩になり、同じく帰宅できない通勤者にもまれながら、へとへとになって翌12日の朝5時にやっと子供と会えました。一人だけ取り残された息子に寄り添い、大人一人でもよかったところ、保育士や先生、合わせて4人が一緒にいてくれました。この人たちだって、家族が待つ家にすぐ帰りたかったはずです。このときばかりは涙が出そうになりました。  
 
 関西などほかの地域からたくさんのグループが被災地に行き、活動していた様子を報道で知っています。助け合い、「和(仲良くする)」の精神を発揮した日本の人たち。被災地でおにぎりや物資を求めて店にちゃんと並ぶ、モラルの高い日本人の姿は中国でも大きく報道されました。  

 大きな地震がまたいつ起こるか、誰にも分かりません。私たちは今の生活を当たり前だととらえてはいけないと思います。  

 今もつらい思いをしている被災者が大勢いるのを知っています。家に戻れない、職も失った。そういう方へ、ぜひ希望を捨てないで前向きに生きてほしいと思います。  

 あの地震は「無常」という言葉を思い出させます。今の生活は当たり前ではないから、つらい状況にあっても、それは永遠に続かないはずです。  

 無常のなかで得た、人とのつながりと助け合いの気持ちを大事にしたいと強く思います。この国は運命共同体だと認識した方がいい。おにぎり一つの貴重なこと、それがいろいろな人の手を介して、自らの手に入ったことが奇跡であるとあの日、私たちは知ったのですから。  

 助け合いは、一日では醸成されません。日ごろから相手の立場を理解し、助けようと努めることで、いざというときにも人を助け、人から助けられるのだと思います。  困難が大きく、自分の非力さを感じても、いろいろなネットワークを通せば、助けや応援が必要な人にそれが届く道筋はあるものです。常に「自分は何かできる」と心がけ、自然の厳しいこの島国の日本で、助け合っていきたいと心を新たにしています。