人生は因果応報 種をまけば結果が伴う

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人生は因果応報 種をまけば結果が伴う

 2015年11月06日

「中国人は、帰れ」    フロア中に響き渡る大声。仁王立ちになった男性の、耳を疑う言葉でした。    数カ月前の夜、私は子どもと一緒に、近所のスーパーで買い物してレジへ向かい、列に並んでいました。9時ころで少々疲れていました。キッチンペーパーを買い忘れたことに気付き、子どもを残してあわてて取りに行き、戻ったときでした。    意外に列がはやく進んで子どもの番になっていました。いますぐにでもお金を渡さないといけない場面です。ですが私の後ろに並んでいた男性がレジ前に立っており、狭い場所をふさいでいたので通れません。    「すみません、前へ通していただけますか」と声をかけたとたん、私が中国人だと分かったのでしょう。彼は振り返り、両腕を振り上げ私を制止し、「中国人は帰れ。絶対に列は譲らない」とどなったのです。そのけんまくに私は凍り付きました。    この男性は私が割り込みをしたと思い込んだのです。割り込みではないと状況を説明したのですがその場から動いてくれません。どなった男性に向かって「おまえは日本人の恥だ」と言う男性も現れました。お互いつかみかからんばかりの騒ぎになり、気が付くと私の周りに人垣ができていました。店長が出てきて、私に「申し訳ないです」と言ってくれました。

■原因をつくったのは私

 ショックでした。数日間は胸が締め付けられる気分で、思い出すのはこの「事件」ばかり。ちょうど、中国からの観光客が大挙して日本のお店へ訪れ、商品をたくさん買っていく現象が頻繁に報道されていたころです。そうした人たちはマナーが悪いという印象も与えるのでしょう。中国人に対する偏見が、彼にそうした態度を取らせたのかもしれない。    なぜこんな目にあうのか。でも時間がたったいま、納得しています。原因をつくったのは私だからです。列からいったん離れ、並び直せば済んだことです。空腹だったので、早く買い物を済ませて帰りたい。その一心で気がせいていました。    「因果応報」――。過去に原因があり、今にその結果がある。今つくる原因は、未来を左右する。私はそう信じています。失態を犯したのは私で、そのためにどなられるという結果を招いたわけです。そう結論を導き、落ち着きました。まいた種は、結果として必ず立ち現れる。まいたなら、責任を持たなくてはならない。最近、強くそう思います。

■日本の成長をみて経営に興味

 中国人の私がなぜ日本で起業することになったのかをお話ししましょう。    来日したのは1988年。早稲田大学法学部に90年に入学しました。同大学院の博士課程へ進み、学びながら日本の大手電機メーカーで契約社員として働きました。その後勤め先を変え、独立系のエレベーター保守会社へ移りました。中小企業の方が大手より企業経営の全貌がみえるという、知人の助言を受けたからです。    96年、中国で弁護士の資格を取りました。なぜ資格を取ったかというと、企業経営への興味からです。留学する前から、日本の高度成長期に企業が飛躍的に成長したのには必ず理由があるはずだと考えていました。それが知りたかった。そして将来、経営者になるなら、自分や会社を守るためには法律を知った方がよい、逆にいえば法律の知識がないといけないと思ったのです。    中国で弁護士活動を開始し、忙しい日々を送るなか、弁護士で食べていこうと決心しました。そんななか、まだ博士課程にいた私は残っていた課題があり、片付けるために再度来日しました。

■運命の電話

 忘れもしません。深夜、一本の電話が入りました。寝ながら受けたこの電話が、私の人生を変えるとはそのとき思いもしませんでした。    声の主は、仕事を通じて知り合った、上海市の政府関係者でした。私が日本でエレベーター会社に勤務していた経験があると知った彼は、エレベーター保守を手掛ける、独立系の日本企業を知らないかと聞いてきました。あるいは、保守に関する知識を教えてくれる企業はないかと聞くのです。    当時から日本製のエレベーターは中国で多く使われていたのですが、メーカーは、故障や修理の際にすぐ対応できるメンテナンスセンター機能を中国に置いていなかったのです。例えば日立の系列のエレベーター事業はその機能を台湾に置いていました。ある部品が必要となったら、台湾にある在庫からいったん香港へ運び、それからやっと上海へくるという不便なシステムでした。上海からはそのたびにだれかを台湾や香港へ出張させるのでコストもかさむと彼は言いました。    日本ではメーカー系列の保守会社が強いことを知っていた私は、独立系の会社は、日本にほとんどないと答えました。中国との合弁会社も探したことはありましたが、当時なかったのです。「ではあなたがその仕事をやればよいではないか。できないの?」    できないのかという言葉に、生来の負けん気が頭をもたげました。彼は熱心に知りたがりますし、その熱心さにこたえ、助けたいと思ったのです。とっさに「調べてみます」と答えていました。そうした会社がなければ、つくることは私にもできる。この電話が97年に設立し、今に続く東京エレベーターを経営するきっかけになりました。私が日本にまいた、一つの種です。   ◇     ◇     ◇    種をまいたら結果が伴います。良いことも悪いことも全部自分がまいた種で、収穫はその結果だと考えています。原因を見つけ、これでいいのか常に検証し、反省する。次に生かせるように――。いつも自分にそう言い聞かせています。これからもそうしていきたいです。

読者からのコメント

孫悟空さん、30歳代男性
非常に前向きな考え方をお持ちだなと感じました。ただ、今回のケースに関してはスルーで十分と思います。おっしゃるように、列を離れたことは種の一つです。しかしその他に「馬さんが(中国の方を嫌う人が少数でもいる)日本に来たこと」も種の一つになります。こうなるとそもそも論になり、何が正解だったのか分からなくなってしまいます。この出来事が良くも悪くも強い記憶として残ったのだと思いますが、馬さんだからこそ出来ること、考えられることは他に沢山あるのではないでしょうか。

泉野普久さん、60歳代男性
「日本の恥」とかもありますが「人間の恥」だと思います。世界中にこうしたことは起こっています。日本人同士でもしょっちゅうです。子供のいじめなんて増える一方です。行政や企業組織、または学校でも法令順守でやれることもありますが限界もある。自分で身を守るしかありませんよね。仕事をされて遅くなってスーパーのラインに並びとばっちりを食うのは同情しますが相手にしないことです。国境を越えた苦労は更に特別ですが、一方で良縁をものにされた。それは実力です。いいお話もものにする。ビジネスにしてしまうなんて簡単じゃないです。ですからこそ「君子危うきに近寄らず」で意味はいいのかな?。リアルな体験からひもとかれた因果の話はとてもエキサイテイングですね。

Q太郎(マンション管理士)さん、60歳代男性
分譲マンションは、価値観の異なる老若男女が同じ屋根の下に住んでいる日本社会の縮図です。 総会となると自己顕示欲の強い人(総会ストーカー)の大声が集会室に響き渡り、管理組合運営のタダ乗り組合員が理事・役員の手続き上の瑕疵を責める地獄絵が半日続きます。これが東日本大震災で助け合ったことで世界で称賛された民族なのか?と疑いたくなります。馬英華さんの冷静な対処や懐の深さをマンション族は見習う必要があります。

Nickelkingさん、60歳代男性
少し前、残留孤児の「大地の子」が話題になりました。自分の生い立ちををバネに、それに日本人が持つ勤勉さと繊細な感覚で中国で花を開かせた方とのように、馬さんには日本人にない強さと逞しさがあります。変な人間はどこにもいます。他の人とは違う馬さんらしい大きな花を日本で咲かせてください。

40歳代男性
馬社長が不愉快な思いをされたこと、残念かつ悲しく思います。経験的に、日本や米国に住む多くの中国人が優秀、真面目かつ、熱心だと感じていますし、話をしていて、いろいろと学ぶことが多いと感心しています。仮に国と国の間には問題があったとしても、「はじめまして」の関係の個人と個人の間には問題はないはずです。日本人と中国人は、直に接する機会が増えましたし、個人レベルでの相互理解が深まれば、互いに持っている誤解や偏見が徐々に取り除かれていくのではないかと期待しています。

30歳代男性
北京に駐在しています。記事を拝見し、馬さんのように謙虚な気持ちを常に持ちたいと改めて思いました。 こういう時代だからこそ、ナショナリズムの克服がその国の成長の原動力となることをわれわれは知るべきです。

30歳代男性
日本に来て頂き、ありがとうございます。 日本人は、アジアでナンバーワンであると勘違いしています。日本に来る多くの中国人がマナーが悪いのも事実だと思います。一方で、日本以上に高度な教育を受けた、とても優秀な人材が中国には日本以上にいるという現実を、多くの日本人は知りません。知りたくないのです。中国ではいまだに自転車に乗ってる人がほとんどだと思いたいのだと。優秀な人材が日本に来てくれることは、日本にとって本当にありがたいことです。

ひの正平さん、60歳代男性
蒔いた種・・・好い言葉ですね。馬さんの経験、意見は、我々日本人には、参考になります。これからも、期待しています。 小倉摯門さん、60歳代男性 「貴女にはできないの?」には大笑いしました。負けん気の強い人の闘争心に火を点けるには好い台詞だと(笑)。ご指摘は20年近く前の話ですが、エレベーターに限らず日本の製造業トップは大量生産大量消費の名残りで未だに保守サービスを付随業務だと軽視している傾向はある。智慧を絞れば小規模でも付加価値の高い儲かる事業なんですけどね。日本の産業構造のサービス化を阻む原因の一つだと思う。検証と反省は大切ですね。馬さんに暴言を吐いた男はグローバル時代の今も大海を知らず狭く暗い井の中で成長も成熟も拒否する庶民大衆なのでしょう。「日本の恥」はそんな人たちに言うのは大袈裟なのであって、寧ろ日本の崩れを強いている今の政治権力者など政官財学報各界の身分高き者達に向けられるべきだろう。胸のざわめきの鎮め方は様々ですが、失敗の種は播かない方が好い。列の後ろの人に「直ぐ戻ってきますので‥」と一言残せば済んだのかも知れません。

チェンミンさん、40歳代男性
読みながら「ほぉ~」って思わず。感嘆。 無ければ「造る」この発想、豊かな日本で生まれ育った私には無かったんですね。 無ければ「買う」そういう人生でしたから。 先日、「そうか、自分が不便だと思ったら作ればいい」「それが世界なり業界なり日本なりの初のものだったら商売になるんだな」って基本的なことを思った矢先のこの記事。 今の日本や先進国に足らない事の気がします。

嘆きの60歳さん、60歳代男性
残念ながら、今の日本の状況は、一部の日本人の振る舞いとは言え、体験された通りです。日本は中国人民に背を向けてまでも手を差出し、商売をしたいと言う「醜さ」がそこに、続いています。各国その国の発展の進み具合、仕方は 異なります。訪日客の悪い印象、商品を大量に買う事も、 30年以上も前に日本人がヨーロッパでやったことです。 バスでエルメスの前に乗り付け大量買い、ルイヴィトンには 、日本語を話す店員がいました。今の日本と同じことが、パリで行われていたのです。当時のパリッ子の気持ちが、最近やっと日本人が分かるようになったのです。それが人生、歴史です。人間のやることです。何も不思議はないのです。 頭の中では理解できても、行動にはなかなか結び付かない。それも人間が持つ特性です。難しいものですね。世間で生きて行くのは。つくづく考えさせられます。