2016年02月12日
中国は春節(旧正月)を迎えました。新年は、目標を立てるのにふさわしい時期です。経営者としての一番の目標は「人を育てる」ことです。今年もこれにまい進しようと思います。会社は、社長一人で運営できないですから。 前回、女性たちへ少し辛口のメッセージを書きました。今回は、私自身、女性の経営者としてどのようなことを考えているのかお伝えしようと思います。
私は古い考えの両親のもとに生まれました。男は勉学や仕事に打ち込み出世を目指す。女性はそれを支えるべきだというものです。中国では当時、男尊女卑がごく自然な考えでした。第1子の私が女児だと分かった父は、3日たっても私を見に産院に来なかったといいます。男児が欲しかったのでしょう。学校に行くようになり、勉強する私に、両親は「女の子なんだから家事の一つでも覚えなさい」と言い続けました。上の学校に行くように励ましてもらったわけでもありません。
それならば、と決めたことがあります。女の子として立派に生きよう。自分の力で社会に貢献できることを探して実行しよう。その決意が、男尊女卑の考え方に抵抗し、進学して日本に来て、会社を興して今に至るまで私を動かしてきました。
ただ、自分へのコンプレックスはどこかにありました。この社会で生きていくには、外見も中身も、男性みたいにしていないとだめだと思っていたときがありました。今、当時の写真を見ると、黒のビジネススーツばかりを着て、これでは後ろから見たら女性か男性か分からなかったかも。
■言い方をお母さんみたいに
会社は軍隊のようなところです。中小企業ですし、経営者はワンマンでないといけない場合もあると思います。問題があれば、どのようにすべきか、社内で議論を重ねるなかで、つい相手に対して声を荒らげることもあります。私は経営者で「司令官」ですから、最後は自分が決めます。以前は男よりも男になりたいと思って従業員と接してきました。でも女性なので、軍隊の中にいても、というかそうだからこそ、お母さんのような柔らかさが必要と今は感じています。
弊社はエレベーター保守の会社なので、技術者の男性たちがいます。技術者ゆえがんこな一面があって、私の言うことに反発するときがあります。どうやって説得するかというと「こういうふうにすることは、あなたたちにとっていいでしょ? あなたたちが現場でやらなければ、この問題は放置されてそのままなのですよ」。男性のトップなら、問答無用で部下に命令することもあるでしょう。でも男性はプライドがあるから、私は頭ごなしに「命令」はしないようにしています。
お母さんといえば、人を育てることは、子育てと似ているところがあります。私には息子がいますが、彼には常々、「お母さんは家事をしたり、あなたの宿題を見たりすることが完璧にはできません。甘えないで、ちゃんと自立してください」と伝えています。突き詰めると、私が社員に求めるのも、こういうことなのです。私は社長ですが完璧ではありません、あなたたちが自ら考え、問題解決してください――と。
■てん足の時代ははるか昔に
先月、打ち合わせで日比谷のザ・ペニンシュラ東京に行きました。私のちょうどすぐ隣に女性1人、男性3人の中国人のグループが座っていて、やはり同じように仕事の打ち合わせをしていました。何かのビジネスモデルの話のようでした。その女性は表情が明るく、ファッショナブルで、帽子がとても似合っていました。正々堂々、かつ自然な感じで、すてきな中国人の女性だと感心しました。男性たちはきちんとした身なりのビジネスマンで、女性の言うことをよく聞いていたのが印象的でした。
1949年に毛沢東が中国を建国した当時、それまでは女性はてん足(幼女の足指を折り曲げ、布でしばって足を大きくしないようにした風習)でした。私のおばあさんもてん足だったのを覚えています。てん足の女性はうまく歩けません。それが女性の美として中国で続いていたのです。毛沢東は「男も女もおんなじ空気を吸っているから(平等だから)、てん足をやめよう」と言いました。
改革開放政策以降、女性の力はすごく発揮されていると思います。中国で起業している女性の数はすごく多く、しかも黒字経営だと、どこかの調査で見ました。てん足の時代からようやくここまで来ました。
去年の後半くらいからでしょうか。肩の力を抜くということが分かってきたように思います。以前は万人に好かれるようなことしようとしていました。今は、別に万人じゃなくても、自分が幸せで、周りの人たちのなかで、私をよく思ってくれる人がいればいいんじゃないかな、と。黒のビジネススーツで、手堅いイメージの経営者を長年やってきました。もう黒は卒業します。これからは、明るい色の服にもチャレンジしたいと思います。新年の、もう一つの目標です。
読者からのコメント
小倉摯門さん、60歳代男性
私も現役時代は深い緑や紺が基調のスーツが好きでした。堅苦しい大組織では一寸浮いていたのかも知れません。当時、女子大生7-8人組の何組かを入社面接した際、ほゞ全員が紺系のリクルートスーツが並んだので理由を問うと、マニュアルにあったのでしょう、夫々に口を揃えて「私に最も似合う色だから」だと。まあ、色に限らず自分の好みやセンスに合わないものを押し付けられそれを受け入れる構えでは若い個性が殺される。逆に言えば、大人が担う社会貢献の一つは、若者の個性やチャレンジ精神を正しく育み多様な個性を夫々に生かす智慧にあると思います。若者にマニュアルを与え判で押したような行動を称揚する智慧のない大人たちこそが社会の大問題なんですが‥。金太郎飴を量産しても世の中は変わりはないし社会に大きな貢献ができる道理もない。特に今は、狭浅短なタコツボのような予定調和に価値を置く社会や企業は衰退するしかない時代なんですけどね。
泉野普久さん、60歳代男性
中国の歴史、改革後の社会の変化の中で性差を明るく切り抜けて自己実現をし、寛容さをもってスタッフや家族にも人間らしく接されてきてます。すごい人生だ。それにオープンですね。世界市民のさきがけみたい。経営者としての使命と人生の判断において、人を育てる、自立を促す、時に声を荒げてもワンマンであるべきということ、またすべての人に好かれなくていいんだ、黒い服を脱ぎ捨てて好きな服装をしよう、それでいいのだ。基本に人間愛があるので、自己を表現しても前進されるのだと思いました。