新しい文化をつくる 机に飛んできたファクス

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新しい文化をつくる 机に飛んできたファクス

2017年01月06日

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 ビルのてっぺん。天気がいいと、はるか地平線まで見えるかのようです。さまざまな高さと形をしたビル、たくさんの住宅、そして木々が茂る公園。見下ろすと人や車が、とても小さく見えます。風が渡り、私の体をなでていきます。だれよりも高い、特別な場所。そこが私のいちばん好きな場所。ビルの屋上です。

  仕事柄、ビルの屋上にはよく訪れました。屋上には機械室が設置されている場合が多いためです。ここに点検のため入るのですが、当然関係者しか許されていないので、格別です。まさにご褒美。ここまで努力して良かったと思える場所なのです。

  夜の屋上も特別な場所です。実はお客さんと会う営業の仕事は夜が多いのです。機械室の調査などでビルの屋上へ行き、あたりを見渡すと、建物にはどこかしら窓の明かりがついている。この一つひとつの明かりの下には、だれかがいて、その人たちのストーリーがあるのだという感慨が胸に迫ります。ビルなら人いるところエレベーターあり。そう思うと、自分の仕事の大事さが実感できるのです。自分はその人たちの明かりをともす支えになっているのかなと思うのです。

  また、高いところから見下ろすと、頭にあるいろいろな考えがすっと整理されてくるから不思議です。下での風景と全く違う風景が広がっている。下にいると深刻で一大事、とこだわっていたことが、上から見るとほかの風景が目に入り、相対的に見るとそうではないのだという気持ちになります。物事には一つの側面だけではなく別の側面があること、どんなに大変だと思える事柄も引いてみれば違う見方ができることを、いつも屋上は教えてくれます。 


■理不尽さからの脱出方法に悩む


  私がエレベーター保守の業界で起業していつも苦労したのは、顧客の思い込みの激しさでした。私の会社の顧客とはビル所有者のことで、この人たちは、エレベーター保守についてそのエレベーターメーカー系列の会社と契約するものだと固く信じていることです。それも当然で、メーカー系列の保守会社がビル所有者に「故障しても、(独立系他社の保守サービスを使うなら)部品を出しません」と公然と言っていたのです。独占禁止法でちゃんと、第三者である競合会社の参入を阻害しないよう定めているにもかかわらずです。部品の売り渋りはもちろん、売るとしても90日間は納品できないなどと言われる。このような商習慣が横行していたため、公正取引委員会が保守会社へ立ち入り調査することもありました。

  ちょっと考えれば、ビル所有者にとってエレベーターの保守点検や、リニューアル改修がメーカー系列会社でなければならない理由はありません。私は経営者として、また商法に精通する弁護士として、保守業界にある商習慣を常々理不尽だと思っていました。「これは伝統に等しく、いわば文化だ。人々の頭に植え付けられてしまっている」と頭を悩ませました。

  多くのビル所有者はだまされている。というか、そもそも選択肢があることを知らない。「部品は売りません」の言葉に困り、言われるがままに設置されたエレベーターのメーカー系列の保守会社と契約し、毎年、保守管理料金の値上げに苦しんでいる。私にはそう見えました。実際、ビル所有者と話すと、「また値上げされた」といって契約書を見せてくれる人もいました。

  私は、この思い込みの壁とずっと戦ってきた(今も戦っている)といっても過言ではありません。異業種交流会や経営者の集まりがあると聞けば足を運んで、自らの会社やサービスを紹介してきました。実際、こういう場で知り合った方たちが顧客になってくださるケースも多くありました。それでも、私が会って話せる人数には、どうがんばっても限りがあります。まだ壁を十分に崩したとは思えませんでした。

  通信業界で独占状態が崩れ規制緩和の方向へ行ったのと同じように、もっと積極的にこの時代にあうやり方で商売した方が、たくさんの利用者が助かるのではないか。通信で起きたのなら、エレベーター保守の業界も規制緩和されていいのではないか。「ははあ、わかった。それなら、解決するには、私が日本に新しい文化をつくればいいんじゃないの?」あしき古い伝統を脱し、競争と選択がある新しいビジネスモデルで、もっとたくさんの人が助かる新しい文化をつくり出すのだ。そう決めたのです。

  そのためには、人々に植え付けられた固定観念をほぐさないといけません。選択肢があるということをできるだけ多くの人に知ってもらう必要があります。「一時に大人数に届く方法がないものか」と突き詰めれば、ある解決策しかないように思えました。それはマスコミを使って大衆に訴えること。

  私が営業に奮闘していた90年代後半にはインターネットはすでに使われていましたが、テレビがいちばん効果的であるように思われました。でもテレビコマーシャルを打つ経済的余裕はありません。それならば新聞だ。しかもビジネスパーソンが読む日経新聞が最適だろうと狙いを定め、どうしたらわが社を取り上げてもらえるか、寝ても覚めても考えるようになりました。

  当時、私はまだ早稲田大学大学院の法学博士コースに在籍している院生でした(経営者と二足のわらじを履いていました。)決心したのはいいですが、いったいどうやってマスコミにアプローチするのか見当がつきません。相談したり、マスコミにつてを持っていたりする知り合いはいなかったですし、広報サービス会社の存在も、一外国人留学生で零細企業の経営者の私には、知るよしもありません。ニュースの発信方法を1年間くらい考え続けていましたが、「どうやって」のところでいつも考えがブロックされ、堂々巡りしていました。今と違い、グーグル検索もない時代の話で、調べてすぐわかることではありませんでした。 


■新聞掲載を決めた1枚のファクス


  あることを達成したいと強く願うとき、常にその意識が頭のどこかにあります。すると不思議と、助けになるヒントが目の前に引き寄せられるのです。

  どうしようかと考えていたころ。暑い季節で、営業先から汗をかいて帰社して、自席のイスにほっと息をついて座ったそのときです。1枚のファクスが机の上にあるのに気付きました。私の席は複合機の真横にあり、ファクスを受信するトレーがちょうど机のへりに重なっていたため、いつも手を伸ばしてトレーからたまった受信ファクスを取り出していました。その日に限って、十数枚だったか数十枚だったか、分厚くたまっていた受信紙の束から1枚だけ後続の受信紙に押し出され、私の不在中に机の内側までせり出してしまったようなのです。

  今もそういうサービスがあると思いますが、当時は企業のお知らせや新サービスの情報が毎日、洪水のようにファクス配信されていました。普通だったら必要なファクスだけ束から探し、ほかは詳しく見ないでほとんどゴミ箱行きだったでしょう。ですが1枚だけ他からはみ出し、目の前にあったので何気なく手にとって目を走らすと、それは「プレスリリース文章の書き方講座」の募集のお知らせでした。

  これだ、これはいける! ピンときました。広報やプレスリリースというものを知らなかったのですが、なぜかこれだという確信がありました。安くない受講料でしたが、次の瞬間には、必要事項を記入してファクスで返信していました。今までずっと探し求めていた解決法が、目の前にあたかも差し出されたような気がして、飛び上がってスキップしたいほどうれしかったのを覚えています。

  それまでエレベーター保守だけを手掛けてきたわが社がリニューアル改修事業に乗り出すというニュースを出したいと思ったのです。3カ月間で週1~2回、仕事の合間をぬって通学することになりました。

  通い始めてみると、この会社は、流す内容や送付する報道機関に対して慎重でした。私の目標は明確で、具体的なニュース内容を具体的な新聞社(日経)に送りたかったので、その旨を社長に直談判したところ、消極的な反応でした。長年リリースを報道機関に送り続けてきたが日経に取り上げられたことはなく、見込薄だという話でした。「そんな簡単にいきません。夢のまた夢と思って下さい」と言うので、私は、やってみないとわからないし、私が提供するニュースは時代性と新鮮味があると主張しました。

  通信業界をはじめとして規制緩和の波が押し寄せていたころで、独占形態が色濃く残るエレベーター保守業界にもその波が確実に来ることや、獲得した顧客の満足度が高いことから、わが社のサービスに対する潜在的、社会的ニーズがあるという信念がありました。私の会社は経済原理に合わない価格体系やサービスのあり方を変えられるんです、このサービスによって助かる人が大勢いるんです、そういう人たちが確実に待っているんです――と、熱意で社長を説得しました。そのうち彼は「そうおっしゃるなら最善を尽くしてお手伝いします。一緒に歴史をつくりましょう。」と変わっていきました。 


■反響大きく 多くの人に役立つ実感


  二足のわらじを履いていた私にとって、3カ月間の講座を継続するのは大変でした。多忙を極め何度かやめようと思いましたが、踏みとどまったのは「だれかがわが社のサービスを待っている」という信念があったからでした。クラスメートは20人くらいいましたが、くしの歯が抜けるように1人、また1人と出席しなくなりました。忙しかったのか、あきらめたのか、あるいは勉強してもニュース採用の可能性の低さに嫌気が差したか。いずれかの理由と思われます。

  勉強したかいがあってリリースを出せました。これに日経の記者が興味を持ち、取材に来たのです。99年8月2日、記事がついに日経朝刊紙面に掲載されました。「東京エレベーター、老朽化エレベーター更新 3~4割安く施工」という見出しでした。以下冒頭の引用です。

  「エレベーターメンテナンスの東京エレベーターは低価格を武器に施工(リニューアル改修)事業に参入する。老朽化したエレベーターの更新需要を対象に他社より3~4割安く請け負う。エレベーターの施工は三菱電機や日立製作所など大手系列の寡占市場。ベンチャー企業の参入は珍しく、メンテナンスで開拓した顧客を足がかりに、初年度6億円の売り上げを目指す。」

  記事が出た日から、オフィスの電話は鳴りっぱなしでした。問い合わせや見積もり依頼が全国から寄せられたのです。ニュースはリニューアル改修についてですが、記事には保守点検サービスも安くできることが書かれていました。関西方面などからも多く引き合いがあり、既存のサービスに不満が大きいことの表れだと納得しました。

  それまで一度にエレベーター数台というビジネスの規模だったのが10台単位に跳ね上がりました。リニューアル需要も取り込んだおかげで、売り上げも掲載前の5倍ほどになりました。それ自体もちろんうれしいことでしたが、なにより私がうれしかったのは、「こうしたサービスを待っていました」と商談に行くたびに感謝されるので、困っている人たちが本当にたくさんいて、その人たちの役に立っているという実感でした。

  「メーカー系列でない会社を選んでもいい」と多くの人々に知ってもらえたきっかけになった1枚のファクス。競争と選択のある新しい文化をどうやってつくるのか、その手段を求めてもんもんとしていた私にとって、一筋の光明になりました。講座の会社の社長も、彼のキャリアのなかで初めて日経に掲載されたことにびっくりしていました。あきらめなければ、夢に近づくことができる。振り返ると、改めてそう思います。

  新聞掲載にはさらにこんなエピソードもあります。掲載後5年してコンタクトしてきた男性がいました。「記事を読んで感銘を受けた。そのときは自分は意思決定を下せるポジションじゃなかったけど、出向先から戻って施設管理の責任者に就任した。5年かかったが、ぜひ、御社のサービスを導入したい」と、その記事の切り抜きを実際に持ってきて、話してくれたのです。本当に必要としている人にわが社の提供するサービスが届くことのうれしさとありがたさに、こちらが感激してしまいました。今までの努力が報われるとはこういうことだと思いました。 


■ジャンヌ・ダルクの精神


  自分が始めた小さなビジネスが徐々に軌道に乗り始め、賛同する顧客が増えてくるのを見るのは、感慨深いものがあります。

  はるか中国・大連の片隅で、母親に家事をするよう罵倒されながらいつか大きな世界へ行きたいと願っていた少女だった私。受験に失敗して自殺しようと踏み込んだトウモロコシ畑で聞いた「待て」という声に導かれここまで来ました。重い病気から劇的に回復し難関大学に入学、新しい制度を利用して開校以来初めてという私費留学への扉をこじあけました。

  慣れない日本で「中国人は帰れ」と言われながら働き、日本人と同じ条件下で受験に成功したこと。就職氷河期でやっと取れた内定を失った後、法律の道を究めようと背水の陣で大学院受験を決めたこと。中国で弁護士資格を取っても日本での起業を決意し、巨大企業しかいない独占市場へ乗り込んだこと……。我ながら、困難の連続だったと思います。

  企業経営という荒波にもまれながら、それでも日本に踏みとどまっているのは、自分は生かされていると知っているからです。生かされているからには、私には使命があり、世のため人のために役に立てることがあるという意味だと信じています。私だけではありません。人にはそれぞれ何かに生かされているのであり、何か役に立てることがあるはずです。精いっぱい生きていれば、助けをいただくこともあるでしょう。その助けを今度は自分がお返しする、世の中はそうできているのです。

  のちに本を出版することになったのですが(「最新中国ビジネス 果実と毒」「目標は夢を叶える近道」「中国人弁護士・馬さんの交渉術」)、新聞や雑誌からインタビューを受けるようになると、よく「ジャンヌ・ダルクのようですね」と言われました。それまでこの15世紀に生きたフランスの少女を知りませんでしたが、彼女と同じように使命を持ち、まい進して不可能を可能にしていくという精神はどこか似ているかもしれません。彼女はフランス軍の勝利のために、私は人の役に立つために。

  しかしながら現代の日本にいる私には、ある運命的な出会いが待っているのでした。その話は次回に。


読者からのコメント


昌美さん、50歳代女性
馬英華さんのど根性ブログを、毎回楽しみにしております。どこの世界も弱肉強食なんですね。馬さんは、いつもピンチをチャンスに変える人です。辛い生い立ちから「人の役に立ちたい!歓んでもらいたい!」精神が出来上がったのだと思います。全て変毒為薬されましたね。本当に何事にも負けない、エレベーター業界のジャンヌ・ダルクであります! 次回も楽しみにしております。 

60歳代男性
こういう人生を切り開いていける力はどこから生まれたのだろう? 民族の底力なのか、生まれ育った環境なのか、持って生まれた個人の力なのか。ともかく、感銘します。朝ドラとして放送したら面白いと思うのですが、ばりばりの現役だし難しいのでしょうね。

堺谷光孝さん、60歳代男性
今回は馬さんの熱意が、顧客の固定観念や業界の慣行という厚い壁を乗り越え、ベンチャー企業を発展させる原動力となったことに深く感動しました。 また、この仕事を広く知ってもらうことが、多くのビルオーナーの役に立てる、という信念のもとでプレスリリースに焦点を定め、それを実現することによって売上を飛躍的に伸ばした広報戦略と経営努力は素晴らしい。現代のジャンヌダルクと称賛されるのもうなずけますね。

松川さん、60歳代男性
金曜日の朝、いつも元気と勇気を与えてくれるこのブログ。屋上に立つと大きな困難もささいな事に見えてくる、そうですよね。山登りで下界を見下ろすのと同じです。

60歳代男性 
規制緩和の進んだ世の中でエレベーター業界はメーカーの寡占市場、その中での解決策は世の中への情報提供しか無いと感じた発想は素晴らしいです。一生懸命やれば不可能を可能にできる世の中である事が実証された証ですね。苦難の人生を生き抜いてきた不屈の精神だからこそ為せば成ると感銘しました。