パンの耳を食べた友人

MEDIA

パンの耳を食べた友人

2017年06月30日

メイン画像


 6月上旬、所用でスウェーデンへ行ってきました。自宅へ帰る前に、古くからの友人に会いました。

  「2カ月間、まったく雨が降らないんだよ」と、食事をしながら友人は言いました。未曽有の雨不足で、寄ると触ると人々が話題にするのは「いつ降るのでしょうね」。友人によると、記憶にあるなかでも、こんな雨不足は初めてだそうです。

  食事中、あまり好きではないパンの耳をいつも残す友人が、残さず食べていることに気付きました。「いつも耳を食べないのに、今日はどうしたの?」「水不足だから、大事にしないと。無駄にできないと思って」 自宅に着いたら、彼のいう意味がわかりました。庭いちめん、黄色くなっているではありませんか。スウェーデンにも生活の基盤を持ち、10年以上行ったり来たりしていますが、庭がこんなに黄色くなったことは一度もありません。芝生だけでなく、果樹も枯れていたのです。

  暑苦しさも感じました。気温をチェックしたら、東京の気温とあまり変わりません。日本よりはるかに緯度が高いスウェーデンでは異常です。滞在中、テレビやラジオで毎日、降水確率が高い地域を予想していましたが、空振りばかりでした。

  水不足になれば、何が直接、大きな影響を受けると思いますか。庭木はもちろん、農作物に甚大な影響を及ぼします。それでもふだん食べている食料が欠乏していくことを、私たちはあまり考えません。モノがあふれて、食料もスーパーに所狭しと並んでいる生活に慣れきっているからです。 


■食品ロスは大きい


  子どものころ、私が育った中国では、飢えはまだ身近にありました。私自身は幸い経験しませんでしたが、いとこのうちでは食料が底をつき、困窮した彼らのために父がトウモロコシの粉を分けていたことが記憶にあります。

  中国は豊かになりました。日本と同じようにモノにあふれ、ほとんどの人々は食べ物に事欠かない生活を享受しています。さらに言えば、モノや食料に品質を求める要求が一段上になっています。健康や食の安全に敏感になって、これらを実現するための努力をいとわなくなりました。粉ミルクやおむつ、健康食品を日本で大量に買って「爆買い」と呼ばれた中国人の行動は、この要求の表れだったのです。

  一方、あれもこれも買うようになれば、無駄も経験します。すると無駄を省く意識も生まれてきます。文化にもそういう影響は及んでいます。お客が来れば、食べきれない量の食事を勧め、接待するのが「中国流」でした。総じて貧しかった時代は、食事をたくさん出して歓待の気持ちを表現していたのです。

  今は違います。大いに勧められることはありますが、ちょうど食べきれるほどの量で食事を楽しむのが普通です。食べきれない分は捨てられる運命ですし、もったいないからです。日本ではあまり見かけない持ち帰りの習慣「打包(残した食事を持ち帰る包材)」が根付いており、余ればこれに入れてもらい、持ち帰ることも多々あります。 日本に留学して間もない1990年代初頭、一人暮らしなのに、山のように出るゴミの量に驚きました。何を買っても過剰包装で、役に立たずに捨てざるを得ないものが多いと思いました。私が幼かったころの中国ではゴミの量が少なく、日々捨てるのはせいぜいジャガイモの皮くらい。食べ物は食べきり、物は本当に使えなくなって捨てるのが普通でした。  気になって、廃棄される食べ物について調べてみました。食べられたはずの食品廃棄「食品ロス」が日本では年間約632万トンにも上ります。これを日本人1人当たりに換算すると、毎日お茶わん約1杯分だそうです(政府広報のページから)。

  中国での計算はそう簡単にできませんが(加工後の貯蔵や物流など違う段階でのロスがそれぞれあるため)、状況は良くないようです。国連食糧農業機関(FAO)の調査によると、2007~08年に中国における外食産業で廃棄された食品は800万トン(たんぱく質換算)。ちょっと古いデータですし人口も違うので一概に比較できませんが、大量であることは間違いありません。 


■一人ひとりが実行する


  大事な食物を、私たちはいとも簡単に捨てるライフスタイルに慣れてしまいました。これはやはりおかしいと思います。現在でも餓死する人が世界中にたくさんいる中で、大干ばつになったらどれほどのことになるか想像してください。いずればちが当たる。大きな問題なのですぐに解決することはできないでしょうが、一人ひとりが意識を変えれば、少しずつ良くなることは確かです。

  自らが消費できる量に限りがあることを知った人々には、無駄を避けようとする意識が働くはず。そこに大きなビジネスチャンスが広がっていると思います。今のやり方やスタイルに固執する必要はないのです。人の口に入る前にロスを少なくする仕組みや技術革新も望まれるでしょう。

  パンの耳を食べる友人を目の前にした私は、残すことなどできません。最後のひとかけらまで食事をいただきました。一人でも実行に移せば、その影響は周りに広がります。今ある物を大事にする心を持つ。その気持ちを人と分かち合う。そんな意識を常に持って生活することの大事さを改めて感じた、今回のスウェーデン滞在でした。


読者からのコメント



昌美さん、50歳代女性
私も食べ物は大切にしています。食べ物は生命をつなぐモノだからです。ノーベル賞平和賞を授賞したマータイ女史が、「日本には素晴らしい言葉がある。それはMOTTAINAI (もったいない)である」と公言し、MOTTAINAIが世界共通語になりました。日本は輸入国で、食べ物を外国に頼っています。レストラン等の「お持ち帰り」は、食中毒の可能性もあり、日本ではなかなか難しいと実体験で感じました。一人一人が日本の食品ロスの多さを知り、MOTTAINAI精神を持つことが重要だと思います。

 50歳代男性
レストランなどではなく、家庭で、普段パンの「耳」を食べないことがあるのに驚きました。中国で成功した家の子弟が饅頭の皮をむくという故事を思い出しました。

 60歳代男性
食品ロスについては同感。子供時代もそうでしたが、今でも田舎では老人は法事や慶事の料理の残り物は折り詰め(今はパック)で家に持ち帰るところもあります。また、私の近所のパン屋さんはサンドイッチの残りの耳をラスクにして安価で販売しています。耳だけをパックにして安価で販売している店もあります。 食べ物を大切にする習慣は年配者が息子や娘所帯に教えていく姿勢が大切だと思います。 たとえ笑われても。いつかわかる日が来ます。 昭和時代の人は両親から教えられたはずです。 思い出してください。

 60歳代男性
スウェーデンでも干ばつですか。異常気象が世界中を覆っているようですね。食品ロスの問題は、確かに一人一人が「完食」を心がけるしか、解決策はなさそうですが、もったいないことだと思います。私の子供時代は戦後の物不足の時代でしたので、母親は物を大切にしていました。私も出された食事は、すべて食べるよう心がけています。馬さんのご意見に賛同します